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差別について考える

差別について考え、話し合う機会が、1日のなかで3回(時間にして合計2時間程度)ありました。
(法科大学院に通って、行政書士の業務を行い、人間の成長や人生の豊かさについて興味を持って生活していれば、差別に関する話題はアタリマエのように出てきます。)

「差別はいけないね。ダメだよね。」で済めばよいのですが、差別という問題は善悪の問題ではありません。心の在り方の問題です。
だから、なかなかなくなりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では、世の中から差別をなくすにはどうしたらいいでしょうか。

それはとてもカンタンです。
世の中のひとりひとりが自分の中心に軸を持てばよいのです。

差別意識がある人というのは、自分の軸がない人です。
自分の軸がないと以下のどちらかのパターンにより差別意識を持つことになります。
①「自分の軸がない→不安→誰か他人を攻撃することで自分の優位を感じたい→差別」
②「自分の軸がない→不安→他の人と同じ価値観をもたなければ怖い→差別」

①は、やり場のない劣等感を差別によって満足させるタイプ。
②は、烏合の衆タイプといえます。

そもそも、差別が起こる原因は為政者の統治技術によるものであることが多いといいます。
・外部に敵を置き、共通の敵を攻撃することで、内部の結束を固める
・内部に意図的に階級的弱者を作ることで、内部のストレスのはけ口にする
といったことは、いつの時代も、どの国でも行われています。
ボウリング・フォー・コロンバイン参照 

(米国の黒人差別について言及されています。)

(統治者も「統治の軸が定まらない→不安→誰か他人を攻撃させることで自分の優位性を確立させたい→差別概念創出」というパターンによっていることが多いのですね。
そう考えると、差別という問題は、現状に不安を持っている「為政者」と、自分の軸をもっていない「大衆」が相互に行う連鎖作用であるといえます。)
このように、自分の軸を持っていない人は、統治技術に見事に取り込まれ、飲み込まれ、流されてしまうのです。

これに対して自分の軸がある人は差別意識を持ちません
というか、差別という行為そのものに興味を持ちません

彼らの統治者は彼ら自身です。彼らは豊かな人生を送るための目標を持っています。
目標を達成するために行動する日々が楽しくて仕方ありません。
彼らは、豊かな人生を送るために重要なのは人との出会いであることを確信しています。
「今自分が一番多く時間を過ごしている人10人を足して10で割った平均が未来の自分の姿である」という人生の真実を指針としてもっています。
ですので、人との出会いを大事にします。いつも笑顔で人と接します。
そして、その人とどれだけ親密に付き合うかを考えるときは「この人と付き合うことで自分は成長できるか(自分にない要素があるか、この人から学べるか、夢をアツく語りあえるか・・・etc)」ということを基準にします。
ネガティブな人・貧乏オーラをもっている人・口ばかりで行動しない評論家タイプの人・退屈な話しかできない人・すぐ周りに流される人など、「自分の軸をもっていない人」は基準外なので付き合わないようにしますが、人種・国籍・信条・性別・社会的身分・門地など(憲法14条後段参照)は付き合いを躊躇する基準とはならないのです。

このようにみてみると、「差別のない社会は成熟した社会」とは当を得た言葉だということがわかります。
「差別のない社会=個々人が自立&自律している(軸をもっている)=成熟した社会」
ということなのです。
自分の軸を持っている人が社会のなかで100パーセントを占めれば、世の中の差別はなくなります。

・・・さて、君は差別する人と差別意識を持たない人、どっちの生き方が格好いいと思うかな?どっちの生き方を選ぶかな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「子供ができたらこういう風に教えよう・・・」ということをイメージしながら、差別に関する自分の考えをまとめてみました。

※全然関係ないけど、一点補足。
僕は、仕事の関係で差別意識を持った人と話す機会が多くあります。その場合は「差別ですよ!いけませんよ!!」などとは言いません。
「そういう発言をするときってどういう気持ちなのですか?」と聞くようにしています。
たいていの場合、相手は恥ずかしそうに顔を赤くしてうつむきます。自分で編み出した話法ですが、これはかなり使えます


「自分は一個の人間でありたい
誰にも利用されない
誰にも頭をさげない
一個の人間でありたい。
他人を利用したり
他人をいびつにしたりしない
そのかわり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい

自分の最も深い泉から
最も新鮮な
生命の泉をくみとる
一個の人間でありたい。

誰もが見て
これでこそ人間だと思う
一個の人間でありたい。
一個の人間は
一個の人間でいいのではないか。
一個の人間

独立人同志が
愛しあい、尊敬しあい、力をあわせる。
それは実に美しいことだ。
だが他人を利用して得をしようとするものは、いかに醜いか。
その醜さを本当に知るものが一個の人間。」

(武者小路実篤)

深い・・・。そして、その通り!!
今回俺が言いたいのもこういうことなのよ!!!
表面だけみて、「みんな仲良く」とか「ケンカはいけませんよ」、「人権は大事だ!」などという次元でとらえないでね、お願いだから
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コメント

なるほど。いじめ問題も根底にあるのは、人のそういった意識なんでしょうね。
優越感にひたりたい。自分と違うやつは目に付くといった意識がいじめを生むのかもしれませんねー。

私自身は、①の他人を見下して優越感にひたり、安心するというのは、中学校時代に卒業したつもり、です。それと同時に人をいじめるということも卒業しました。
でも②の人と同じでないと心配になるというのは卒業できているかなー?「他人になんて思われてもかまわない。自分の信念を貫き通せ!」と普段は思う反面、弱気な自分が出てくると、他人に迎合している時もあるもんなー。

これはサラリーマン経験が、逆に悪い作用をもたらしているのかもしれんなー。迷ったときは、正しくとも間違っていたとしても、以前のやり方や、上司の意見に従うっていう逃げ方を覚えたせいかなー。
でも根底にあるのは、自分自身の弱さなんだろうね。

もうちょっとだけ意識して自分自身をしっかりと確立していきたいと思う。
「王様ノート」を要活用してみます。

人間の成長には二段階あると思います。

第一段階が「他人になんて思われてもかまわない。自分の信念を貫き通せ!」ができるようになる状態。これだけでも十分な成長です(人類のトップ10%に入ると思う)。
第二段階が自分と同じように自立(自律)した人たちとスクラムを組んで、「他人になんて思われてもかまわない。俺たちの信念を貫き通せ!周りの人に愛を与えるぜ!」ができるような状態。
ここに達することができれがなんでもできます(「偉人」と呼ばれる人々になれる)。

第一段階は自己マネジメントだけで達成できるけど、第二段階はリーダーシップやマネジメント、コミュニケーションなどが強く要求されます。自分の人格内部からにじみ出るものをもって他者に影響を与えなければいけない分、難易度が高いといえます。

せっかくなので「偉人」を目指しましょうか?うん。そうしましょう!

周りの人に愛を与えるぜ!なるほどねー最終的にその心境にまで達しえたら人生のつまらない悩みも大半はなくなるんでしょうねー。達することができるかできないかはともかく、目指すこと自体は悪いことではないですね。

自分がそういった人間になれれば、同じ思考を持つ気持ちのいい人間が周りに増えるんでしょうね。

男して生まれたからには「どんな分野でもいいから何かしら名を残してみたい」とは思っています。できるかどうかは別としても、①自分自身を高めることと、②いい仲間を持つことは 人生において無駄になることはないですよね。

よし目指してみようか「偉人」!

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